28. 浄瑠璃寺 : Jyoruri Ji

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浄瑠璃寺(じょうるりじ)は、京都府木津川市加茂町西小札場(にしお ふたば)にある真言律宗の寺院。山号を小田原山と称し、本尊は阿弥陀如来と薬師如来、開基(創立者)は義明上人である。寺名は薬師如来の居所たる東方浄土「東方浄瑠璃世界」に由来する。
本堂に9体の阿弥陀如来像を安置することから九体寺(くたいじ)の通称があり、古くは西小田原寺とも呼ばれた。緑深い境内には、池を中心とした浄土式庭園と、平安末期の本堂および三重塔が残り、平安朝寺院の雰囲気を今に伝える。本堂は当時京都を中心に多数建立された九体阿弥陀堂の唯一の遺構として貴重である。堀辰雄の『浄瑠璃寺の春』にも当寺が登場する。

浄瑠璃寺の所在する地区は当尾(とうの)の里と呼ばれ、付近には当尾石仏群と呼ばれる、鎌倉時代にさかのぼる石仏、石塔などが点在している。行政的には京都府に属するが、地理的には奈良の平城京や東大寺からも近く、恭仁宮跡(奈良時代に一時期都が置かれた)や山城国分寺跡も近い。

境内は浄土式庭園を形成している。境内の中心に位置する大きな池は興福寺の恵信(えしん)という僧が掘ったもので、その中央には小島があり、弁才天を祀る祠がある。池の東岸には薬師如来を安置する和様の三重塔、西岸には阿弥陀如来を安置する本堂(九体阿弥陀堂)が位置する。
薬師如来は東方浄瑠璃世界に住み、現世の苦しみを除く仏であり、阿弥陀如来は西方極楽浄土の教主である。薬師如来を東、阿弥陀如来を西に安置することにはこうした意味があり、三重塔のある東岸は「此岸」(しがん、現世)、池をはさんだ西岸は阿弥陀如来のいる「彼岸」であるという見かたもできる。

これら今にある伽藍の原型は、前述のとおり、1047年(永承2年)建立の薬師如来を本尊とする本堂が取り壊され、9体の阿弥陀如来像を安置する新たな本堂が建立された1107年(嘉承2年)に形成されたものと見られる。
池の反対側から本堂を見ると、中央の阿弥陀如来の顔は本堂の庇に隠れて見えないが、池に映った姿を見ると顔も見える。池に映して見ることで、極楽浄土の世界を見るように設計されていた。 (Wikipedia から抜粋)

国宝
・本堂
・三重塔
・木造阿弥陀如来坐像 9躯
・木造四天王立像

重要文化財
・厨子入木造吉祥天立像(附:吉祥天摺仏59枚(像内納入品)、革製厨子金具形残欠8片)
・木造地蔵菩薩立像 – 像高157.6cm。平安時代。檜材一木造。彫眼。彩色。矢田型(右手に錫杖を持たない)。九体阿弥陀の中尊の向かって右に安置。通称子安地蔵。
・木造地蔵菩薩立像 – 像高97.0cm。矢田型。平安時代。東京国立博物館に寄託。
・木造不動明王及び二童子像 – 中尊像高99.5cm。檜材寄木造。玉眼、彩色、截金。本堂内、向かって右方に安置。鎌倉時代。
・木造馬頭観音立像 – 像高106.3cm。彫眼。彩色。四面三眼八臂。仁治2年(1241年)の作。奈良国立博物館に寄託。
・木造薬師如来坐像 – 三重塔本尊。像高85.7cm。一木割矧ぎ造。彫眼。彩色。建立当初の本尊。平安時代の作。開扉は毎月8日、彼岸中日、正月三が日のみ。なお、2009年に堂内に侵入したアライグマにより被害を受け、2009年6月から約半年の間拝観不可となる。
・三重塔初重壁画 16面 – 十六羅漢図像は、平安時代の絵画資料として貴重。柱には鎌倉末期の八方天立像が描かれている。
・石灯籠 2基 – 南北朝時代。本堂前と三重塔前にある。花崗岩。六角型(般若寺型)。塔前のものには「貞治五年(1366年)丙午正月十一日造立之為法界衆生願主阿闍梨祐実」の銘が刻まれている。
・浄瑠璃寺流記事(附:浄瑠璃寺縁起) – 南北朝時代。


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