31. 三井寺 : Miidera

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園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市にある、天台寺門宗の総本山。山号を「長等山(ながらさん)」と称する。
開基(創立者)は大友与多王、本尊は弥勒菩薩である。日本三不動の一である黄不動で著名な寺院で、観音堂は西国三十三所観音霊場の第14番札所である。また、近江八景の1つである「三井の晩鐘」でも知られる。
なお一般には「三井寺(みいでら)」として知られるため、本文では「三井寺」の呼称を用いる。

三井寺は7世紀に大友氏 (古代)の氏寺として草創され、9世紀に唐から帰国した留学僧円珍(天台寺門宗宗祖)によって再興された。三井寺は平安時代以降、皇室、貴族、武家などの幅広い信仰を集めて栄えたが、10世紀頃から比叡山延暦寺との対立抗争が激化し、比叡山の宗徒によって三井寺が焼き討ちされることが史上度々あった。近世には豊臣秀吉によって寺領を没収されて廃寺同然となったこともあるが、こうした歴史上の苦難を乗り越えてその都度再興されてきたことから、三井寺は「不死鳥の寺」と称されている。

文禄4年(1595年)、三井寺は豊臣秀吉の怒りに触れ、闕所(寺領の没収、事実上の廃寺)を命じられている。三井寺が何によって秀吉の怒りを買ったものかは諸説あって定かではない。この結果、三井寺の本尊や宝物は他所へ移され、金堂をはじめとする堂宇も強制的に移築された。当時の三井寺金堂は比叡山に移され、延暦寺転法輪堂(釈迦堂)として現存している。慶長3年(1598年)、秀吉は自らの死の直前になって三井寺の再興を許可している。これは死期を悟った秀吉が、霊験あらたかな三井寺の祟りを恐れたためとも言われている。秀吉の再興許可を受け、当時の三井寺長吏・道澄が中心となって寺の再興が進められた。現在の三井寺の寺観は、ほぼこの頃に整えられたものである。
明治維新後は天台宗寺門派を名乗っていたが、1946年以降は天台寺門宗総本山となっている。

国宝
・金堂(附:厨子)
・新羅善神堂(附:須弥壇及び厨子)
・勧学院客殿
・光浄院客殿

・絹本著色不動明王像(黄不動)(既述)
・木造智証大師坐像(中尊大師)
・木造智証大師坐像(御骨大師)
・木造新羅明神坐像
・五部心観2巻
・智証大師関係文書典籍

重要文化財
・木造不動明王立像
・木造如意輪観音坐像
・梵鐘(弁慶の引き摺り鐘)
・大門(仁王門)
・閼伽井屋
・一切経蔵
・三重塔
・食堂(釈迦堂)
・毘沙門堂
・唐院4棟(大師堂・唐門・灌頂堂・四脚門)
・鐘楼

絵画・彫刻
・多数


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35.0147015, 135.8526521
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Web:
http://www.shiga-miidera.or.jp/

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