45. 成田山新勝寺 : Narita San Sinsyo Ji

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成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)は、千葉県成田市にある真言宗智山派の寺であり、同派の大本山のひとつである。本尊は不動明王。関東地方では有数の参詣人を集める著名寺院で、家内安全、交通安全などを祈る護摩祈祷のために訪れる人も多い。不動明王信仰の寺院のひとつであり、寺名は一般には「成田不動」あるいは単に「成田山」と呼ばれることが多い。
2008年4月に開基1070年を迎えた(正確には、開基1068年にあたるが、開基1000年祭を1938年に祝ったため、2008年を開基1070年としている)。
毎年千葉県警は正月の初詣客数を発表しており、その数は2006年では275万人、2007年は約290万人となっており、明治神宮に次ぐ全国二位、千葉県内一位である。
寺紋は牡丹である。

 成田山新勝寺は平安時代中期に起きた平将門の乱の際、939年(天慶2年)朱雀天皇の密勅により寛朝僧正を東国へ遣わしたことに起源を持つ。寛朝は京の高雄山(神護寺)護摩堂の空海作の不動明王像を奉じて東国へ下り、翌940年(天慶3年)、海路にて上総国尾垂浜に上陸。平将門を調伏するため、下総国公津ヶ原で不動護摩の儀式を行った。新勝寺はこの天慶3年を開山の年としている。乱平定の後の永禄年間(1566年(永禄9年)頃と考えられるが未詳)に成田村一七軒党代表の名主が不動明王像を背負って遷座されて伽藍を建立された場所が、現在の成田市並木町にある「不動塚」周辺と伝えられ成田山発祥の地と言われている。「また新たに勝つ」という語句に因み新勝寺と名づけられ、東国鎮護の寺院となった。

 江戸時代には、江戸(征夷大将軍の城下)でたびたび成田不動の「出開帳」(現代の語感でいえば、「秘宝特別公開」)が行われた。1703年(元禄16年)、深川永代寺(富岡八幡宮の別当寺で、廃仏毀釈により廃寺になったが、塔頭寺院が1896年(明治29年)名跡を再興した)で行われたのが初めで、江戸時代を通じて12回の出開帳が行われた記録がある。歌舞伎役者の市川團十郎が成田不動に帰依して「成田屋」の屋号を名乗り、不動明王が登場する芝居を打ったことなどもあいまって、成田不動は庶民の信仰を集め、成田参詣が盛んとなる。

重要文化財
・建造物5棟(仁王門、三重塔、釈迦堂、額堂、光明堂)
・木造不動明王及び二童子像 – 大本堂に安置する当寺の秘仏本尊。中尊の不動明王像は、坐像で像高約133cm。両脇に二童子をしたがえる。鎌倉時代の作。


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千葉県成田市成田1番地
GPS:
35.7852204, 140.3174944
Web:
http://www.naritasan.or.jp/

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