48. 高徳院 : Kotokuin

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高徳院(こうとくいん)は、神奈川県鎌倉市長谷(はせ)にある浄土宗の寺院。本尊は「鎌倉大仏」「長谷の大仏」として知られる阿弥陀如来像(国宝)。山号は大異山。詳しくは大異山高徳院清浄泉寺(しょうじょうせんじ)という。開基(創立者)と開山(初代住職)はともに不詳である。
2004年(平成16年)2月27日、境内一帯が「鎌倉大仏殿跡」の名称で国の史跡に指定された。なお、大仏の造立経緯や、大仏殿の倒壊時期については諸説ある。

 高徳院は、鎌倉のシンボルともいうべき大仏を本尊とする寺院であるが、開山、開基は不明であり、大仏の造像の経緯についても史料が乏しく、不明な点が多い。寺の草創については、鎌倉市材木座の光明寺奥の院を移建したものが当院だという説もあるが、定かではない。初期は真言宗で、鎌倉・極楽寺開山の忍性など密教系の僧が住持となっていた。のち臨済宗に属し建長寺の末寺となったが、江戸時代の正徳年間(1711年 – 1716年)に江戸・増上寺の祐天上人による再興以降は浄土宗に属し、材木座の光明寺(浄土宗関東総本山)の末寺となっている。「高徳院」の院号を称するようになるのは浄土宗に転じてからである。

『吾妻鏡』には、暦仁元年(1238年)、深沢の地(現・大仏の所在地)にて僧・浄光の勧進によって「大仏堂」の建立が始められ、5年後の寛元元年(1243年)に開眼供養が行われたという記述がある。同時代の紀行文である『東関紀行』の筆者(名は不明)は、仁治3年(1242年)、完成前の大仏殿を訪れており、その時点で大仏と大仏殿が3分の2ほど完成していたこと、大仏は銅造ではなく木造であったことを記している。一方、『吾妻鏡』には、建長4年(1252年)から「深沢里」にて金銅八丈の釈迦如来像の造立が開始されたとの記事もある。

 大仏は、元来は大仏殿のなかに安置されていた。大仏殿の存在したことは、平成12年から13年(2000 – 2001年)にかけて実施された境内の発掘調査によってもあらためて確認されている。『太平記』には、建武2年(1335年)、大風で大仏殿が倒壊した旨の記載があり、『鎌倉大日記』によれば大仏殿は応安2年(1369年)にも倒壊している。大仏殿については、従来、室町時代にも地震と津波で倒壊したとされてきた。

銅造阿弥陀如来坐像(国宝)
像高約11.39メートル(台座を含め高さ13.35メートル)。重量約121トン。
角張った、平面的な面相、低い肉髻(にっけい、頭髪部の椀状の盛り上がり)、猫背気味の姿勢、体部に比して頭部のプロポーションが大きい点など、鎌倉期に流行した「宋風」の仏像の特色を示しており、鎌倉時代を代表する仏教彫刻として国宝に指定されている。また、後世の補修が甚大な奈良・東大寺の大仏と比べ、ほぼ造像当初の姿を保っている点も貴重である。像は衣を通肩(両肩を覆う着装法)にまとう。浄土教信仰に基づく阿弥陀像が多く来迎印(右手を挙げ、左手を下げる)を結ぶのに対し、本像は膝上で両手を組む定印(じょういん)を結んでおり、真言ないし天台系の信仰に基づく阿弥陀像であることがわかる。


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神奈川県鎌倉市長谷4-2-28
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35.3167005, 139.53612090000001
Web:
http://www.kotoku-in.jp/

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