55. 観心寺 : Kanshin Ji

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観心寺(かんしんじ)は、大阪府河内長野市にある高野山真言宗の寺院。山号を檜尾山と称し、遺跡本山である。本尊は如意輪観音、開基(創立者)は実恵である。 仏塔古寺十八尊第十三番。奥河内の観光地の一つ。

伝承では、大宝元年(701年)、役小角(役行者)が開創し、当初、雲心寺と称したとされる。その後、大同3年(808年)、空海がこの地を訪れ、北斗七星を勧請したという。これにちなむ7つの「星塚」が現在も境内に残る(なお、北斗七星を祭る寺は日本では観心寺が唯一である)。

弘仁6年(815年)、空海は再度この地を訪れ、自ら如意輪観音像を刻んで安置し、「観心寺」の寺号を与えたという。「空海が自ら刻んで」云々の話は伝承の域を出ないが、現在金堂本尊として安置される如意輪観音像は、様式的に9世紀の作品とされている。また、観心寺には奈良時代にさかのぼる金銅仏4体が伝来することから、奈良時代草創説もあながち否定はできない。

観心寺の実質的な開基とみられるのは、空海の一番弟子にあたる実恵である。『観心寺縁起資材帳』(国宝)などによると天長4年(827年)、実恵の意を受け、弟子の真紹が造営を始めている。承和3年(836年)には石川郡東坂荘が勅によって施入されたと伝えられている。

観心寺は楠木氏の菩提寺であり、楠木正成および南朝ゆかりの寺としても知られている。正平14年(1359年)には当寺が後村上天皇の行在所となった。また、境内には後村上天皇桧尾陵がある。
境内にある建掛塔(たてかけとう)は、一見、普通の仏堂のように見えるが、三重塔の一重目だけが建てられた、未完成の建築である。伝承によれば、楠木正成は、建武の新政の成功を祈願して三重塔の建立を発願したが、造営なかばで湊川の戦いで討ち死にしたため、建築が中断され、そのままになっているという。討ち死にした正成の首は当寺に届けられ、首塚に祀られている。

室町時代以降は、管領畠山氏や豊臣氏の庇護を受けて栄えた。

当寺には多くの文化財があり、仏像などは寺内の霊宝館に多数展示されている。また境内が国の史跡に指定されている。

・金堂(国宝)- 南北朝時代の建立。建築様式に、伝統的な和様と禅宗様の要素が混在している、いわゆる「折衷様」建築の代表作とされる。
・建掛塔(重文)
・訶梨帝母天堂(かりていもてんどう、重文)


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