61. 立石寺 : Risshaku Ji

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立石寺(りっしゃくじ)は、山形県山形市にある天台宗の寺院。山号は宝珠山。本尊は薬師如来。山寺(やまでら)の通称で知られ、古くは「りうしゃくじ」と称した。寺号は詳しくは宝珠山阿所川院立石寺(ほうじゅさんあそかわいんりっしゃくじ)と称する。
古来、悪縁切り寺として信仰を集める。蔵王国定公園(第2種特別地域)に指定されている。平泉中尊寺・毛越寺、松島瑞巌寺とともに「四寺廻廊」という巡礼コースを構成している。

重要文化財
・立石寺中堂(根本中堂)(建造物、明治41年(1908年)4月23日指定)
・天養元年如法経所碑(考古資料、大正4年(1915年)3月26日指定)
・立石寺三重小塔(建造物、昭和27年(1952年)7月19日指定)
・木造薬師如来坐像(彫刻、昭和44年(1966年)6月11日指定)
・木造慈覚大師頭部・木棺(彫刻、平成18年(2006年)6月9日指定)

名勝・史跡
・山寺(昭和7年(1932年)3月25日に国の史跡・名勝に指定)

立石寺の創建について、寺伝では貞観2年(860年)に清和天皇の勅命で円仁(慈覚大師)が開山したとされている。当寺の創建が平安時代初期(9世紀)にさかのぼることと、円仁との関係が深い寺院であることは確かであるが、創建の正確な時期や事情については諸説あり、草創の時期は貞観2年よりもさらにさかのぼるものと推定される。

立石寺には円仁(慈覚大師)の遺骸を安置すると伝える入定窟(にゅうじょうくつ)がある。史実としては、円仁は貞観6年(864年)、比叡山で没しており、立石寺に実際に遺骸が移されたという確証はないが、入定窟の上に立てられた天養元年(1144年)の「如法経所碑」が現存し、そこには「大師の護持を仰いで法華経を埋納する」という趣旨のことが書かれていて、この時代(12世紀)、すでに円仁がこの地で入定しているとする伝承が成立していたことがわかる。

立石寺は山形城主であった最上家(斯波兼頼を祖とする)と関係が深く、同家の庇護を受けていた。最上義守の母・春還芳公尼(しゅんげんほうこうに)は荒廃した堂宇の再興に努め、その孫(最上義守の子)にあたる最上義光(よしあき)も立石寺を援助した。義光の時代の分限帳によれば、立石寺には寺領1,300石が与えられている。
元禄2年(1689年)に松尾芭蕉が旅の途中で訪れ、その時のことが『おくのほそ道』に書かれている。
また、当地で名句「閑さや 巖にしみ入る 蝉の声」を詠んでおり、参道に句碑がある。


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山形県山形市大字山寺4456-1
GPS:
38.3122076, 140.43602529999998
Web:
http://www.rissyakuji.jp/

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