62. 中尊寺 : Chuson ji

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中尊寺(ちゅうそんじ)は、岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗東北大本山の寺院。奥州三十三観音番外札所。山号は関山(かんざん)、本尊は阿弥陀如来。寺伝では円仁の開山とされる。実質的な開基は藤原清衡。

奥州藤原氏三代ゆかりの寺として著名であり、平安時代の美術、工芸、建築の粋を集めた金色堂を始め、多くの文化財を有する。
境内は「中尊寺境内」として国の特別史跡に指定されている。2011年(平成23年)6月26日、「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の構成資産の一つとして世界遺産に登録された。
平泉毛越寺、松島瑞巌寺、山形立石寺と共に「四寺廻廊」という巡礼コースを構成している。

寺伝によると、嘉祥3年 (850年)、円仁 (慈覚大師) が関山弘台寿院を開創したのが始まりとされ、その後貞観元年 (859年) に清和天皇から「中尊寺」の額を賜ったという。しかし、円仁開山のことは、確かな史料や発掘調査の結果からは裏付けられず、実質的には12世紀初頭、奥州藤原氏の初代・藤原清衡が釈迦如来と多宝如来を安置する「多宝寺」を建立したのが、中尊寺の創建と見られる。

清衡は現在の岩手県にほぼ相当する奥州奥六郡を支配下に収め、父の姓である「藤原」を名乗って「藤原清衡」と称するようになる。清衡は寛治3年 (1089年) には陸奥押領使に任命され、嘉保4年 (1094年) 頃には居館を江刺郡豊田館 (とよたのたち、奥州市) から、中尊寺のある平泉に移している。このように、藤原清衡の前半生は兄弟・親族が相争うもので、多くの近親者の死を目の当たりにしてきた。壮年以降の清衡が平泉の地に、都の大寺院にも劣らぬ仏堂を造立したのは、その莫大な経済力の背景があったこととともに、戦いに明け暮れた前半生を省み、戦没者の追善とともに、造寺造仏、写経の功徳により、自己の極楽往生を願ってのことであったと推測されている。

清衡が平泉にて中尊寺の中興 (事実上の創建) に着手したのは長治2年 (1105年)、50歳の時であった。この時建てられた堂宇は「最初院」または「多宝寺」と称され、『法華経』「見宝塔品」に登場する多宝如来と釈迦如来を本尊とするものであったが、その建築形式等の詳細は不明である。
現存する金色堂の上棟は、棟木銘から天治元年 (1124年) と判明する。この堂は清衡が自身の廟堂として建立したもので、内部の須弥壇内には清衡と子の基衡、孫の秀衡の3代の遺体 (ミイラ) が安置されている。
平泉では、奥州藤原氏4代 (清衡、基衡、秀衡、泰衡) 約100年にわたって王朝風の華やかな文化が栄え、毛越寺 (もうつうじ、基衡建立)、観自在王院 (基衡夫人建立)、無量光院 (秀衡建立) などの寺院が建立されたが、当時の面影をとどめるのは中尊寺金色堂、毛越寺庭園と、紺紙金銀字経などのわずかな遺品のみである。

国宝

・中尊寺金色堂(解説は別項「中尊寺金色堂」参照)
・金色堂堂内諸像及び天蓋 31躯、3面
・金色堂堂内具 (木造礼盤 1基、螺鈿平塵案 3基、磬架 1基、金銅幡頭 3枚、金銅華鬘 (迦陵頻伽文) 6枚、附 孔雀文磬 1面)
その他多数

重要文化財
多数


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岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202
GPS:
39.0015908, 141.10263910000003
Web:
http://www.chusonji.or.jp/

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